諏訪ブログ

ディープに諏訪を案内するガイドのブログ
2024年7月27日 林 聡一

【林】旧御射山(もとみさやま)は、武士の夏フェス会場

スワペリ林です。

仮にも「SUWAエクスペリエンス代表」を名乗るものが自慢することではないのですが、正直なところ、僕がスワペリのガイドの中で最も諏訪の歴史、文化についての知識が浅いことは間違いなく、現在勉強中です。

ですのでここでは少し斜めの角度から、諏訪の面白さをご紹介できればと思っています。 今回は現在実施中の「諏訪の高原聖地を巡る旅」ツアー で訪れる「旧御射山遺跡」について。

旧御射山と書いて「もとみさやま」と読みます。霧ヶ峰高原の八島ヶ原湿原の中にあります。美しい湿原を歩いて行くと、ふっと現れる、太古からの高原の社という風情。神社なので古いと言っても千数百年のはずですが、何千何万年前からの「原始」を勝手に感じます。

〈旧御射山社〉

数少ない私の海外での古代遺跡の記憶ともなんとなく重なります。アイルランドや、イタリアのサルディーニャ島の山の中で訪れた遺跡です。形は違えど、なんだか空気が似ている。もしかすると、この旧御射山社の風景に出会ったのが、スワペリを作ることになった一つのきっかけかもしれません。どこか深いところで諏訪は世界につながっているかも、と。

〈左:アイルランド「タラの丘」  右:イタリア サルディーニャ島の「ヌラーゲ」〉

御射山社は、諏訪大社の摂社(神社の本社に付属した、縁の深い神様を祀った社)です。上社、下社それぞれに御射山社があります。 「旧」御射山社はかつて下社の御射山社だったところ。旧があるってことは、現があるわけで、下社の今の御射山社は、江戸時代に移されて下社秋宮近くの山中にあります。(ここはここで素晴らしく美しい場所なのですが、別の機会に。)

やっと本題です。 旧御射山遺跡周辺は、大雑把に二つの時代に栄えました。 一つは旧石器時代。この辺りは黒曜石の産地が近く、3万年ほど前に人が住んでいた跡が見つかっています。原始の匂いがするのは、それだからなのかも?と想像してみる。

もう一つは、鎌倉〜室町のあたり。これがタイトルの「武士の夏フェス」が行われていた時代です。鎌倉幕府は頼朝からして諏訪大明神の大ファンで、軍神として崇めていました。それが嵩じてかいつの頃からか、全国の武士を集め、7月26日(旧暦)から5日間に渡り毎年のように「御射山祭」(みさやまさい)というお祭りが開かれるように。下社の御射山祭が行われたのが旧御射山社のあたりです。 諏訪信仰研究の基礎文献「諏訪大明神絵詞」(すわだいみょうじんえことば)によれば、10万人もの人が見物に訪れ(さすがにちょっと盛ってる?)、白拍子(女性ダンサー)や遊女、飲食店も出て、まさに現代のロックフェスのような光景を呈していたと言われています。(最後の部分は主観(笑))

〈諏訪大社の御射山祭とは別に行われる御射山御狩(みさやまみかり)の神事。過去の御射山祭へのオマージュとして、甲冑(かっちゅう)演武なども奉納される。〉

音楽が好きで、海外を含めてさまざまな場所へ、あれこれとコンサートやフェスを観に行っています(フジロックとサマソニは1回目から、なんだかんだと真面目に通っています)。7月26日(旧暦ですが)といえば、まさにフジロックのあたり。夏に全国から集まって山を馬と一緒に登って行った武士の皆さん、それを見ようと集まった観客のみなさんの気持ちを想像すると、まあなんだかワクワク、ソワソワするわけです。一体どんな光景だったのだろう。

〈フジロック会場(朝まだ早くお客さんが少ない時間です。)〉

御射山祭は、やがて戦国時代を迎えるあたりで、大規模な開催は行われなくなっていきます。現在では、少し違った形で御射山社で、諏訪大社のお祭りとして行われています。(詳しくはこちらをご覧ください)  諏訪大社ホームページ 御射山祭について

現在のほぼ自然に戻った旧御射山「遺跡」に立つと、平凡ですが「兵どもが夢のあと」、諸行無常を感じます。Ashes to Ashes。全ては自然に還っていく。

夏の高原の草原に、熱狂のあとの寂しさ、無常感を感じるのは多分僕だけではないでしょう。

〈「武士の夏フェス」の「スタジアム」だったと目される丘陵の前で〉

林 聡一

林 聡一

スワニミズム美術部、大昔調査会会員。広告・マーケティング会社を経て、SUWAエクスペリエンスを立ち上げる。事業を実施する「有限会社丸ト林商店」代表。全国通訳案内士、国内旅行業務取扱管理者。2022年「アートの歴史を変えた諏訪人」松澤宥生誕100年祭実行委員長。音楽、アート、日本酒、フェス、旅行をディープに楽しむのがライフワーク。