【坂間】諏訪大社上社は前宮と本宮。これはなぜ、どんな理由から?
上下4社で成り立っている諏訪大社。下社は春宮と秋宮。上社は前宮と本宮。どちらも、なぜ、その組み合わせなの?と素朴な疑問が湧いてきます。
前回は、下社の春宮と秋宮について書きました。今回は、上社について。なにゆえ前宮と本宮なのでしょうか。
前宮と本宮ですが、2社の雰囲気はかなり違っています。下社の春宮と秋宮が一見、同じような作りになっていることとは対照的です。
上社の前宮は、木々の中、参道を登りつつ、左右の建物の間を抜け、拝殿へ。自然の中の静かなお社。



《諏訪大社上社前宮》
一方の本宮は大小の建物が玉垣(神社の周りの柵・垣根)の中にいくつもある荘厳な印象。しかも参拝ルートは、東参道から入り、布橋を通りぬけ、折り返して諏訪大社独自の左右片拝殿の前へと巡る、逆Jの字のような不思議な流れ。





《諏訪大社上社本宮》
なぜ、こんなにも違うのでしょう。2つの神社の成立まで遡れたら何もかもはっきりするのですが、それは無理というもの。諏訪大社の成立が古すぎて、よくわからないのです。そこで、残されている文献や境内の様子などから、探っていくしかありません。
では、前宮から。諏訪上社物忌令之事(神長本・文明年間=1469〜1486年成立)に、本宮の摂社(=本宮の主祭神に関係する神様を祀る)とされる上中下十三社、計39社が記されています※1。この中に、前宮があります。そう、前宮は、本宮の摂社だったのです。では、前宮は、本宮よりも重要ではなかった?と思われるかもしれませんが、そんなことはありません。なんといっても、江戸時代直前まで生き神様とされる大祝(おおほうり)が暮らしていた場所だったのですから。
しかも、重要な神事は前宮を核として行われます。たとえば、大祝の即位式は、前宮の鶏冠社(けいかんしゃ)で。以前紹介した厳冬期に3カ月も行われる御室神事も前宮で。これに続く現在4月に行われる御頭祭(おんとうさい)=大御立坐神事(おおみたちまししんじ)も、本宮から神官たちが出向いて、前宮の十間廊(じゅっけんろう)で神事を行います。また遠く離れた富士見町での御射山祭も、かつては前宮に住む大祝が境内の溝上社(みぞかみしゃ)を詣でた後、出立していました。
《諏訪大社上社前宮 十間廊で行われる御頭祭》
生き神様=大祝が暮らす前宮を中心として、あるいは起点として様々な重要神事が行われる。本宮の摂社という位置付けではありますが、祭祀が行われる重要エリア、それが前宮です。
では、本宮はどうでしょう? 一言で言えば、神仏習合思想の元に発展した信仰の拠点という様相。上社本宮をはじめとする神社と多数の寺院が混然一体となった状態で、さまざまな神事や仏事が行われていたようです。
この違いは、たとえば江戸時代直前に描かれた天正絵図で確認できます※2。多数の寺社が建ち並び、多くの神官や僧侶が行き交ったであろう本宮は、まさに神仏習合の本拠地。一帯に今も残る神宮寺という地名が、往時の姿を思い起こさせてくれます。一方、前宮は、小さなお堂や祠などが点在する祭祀の場、聖地。本宮の摂社ではありますが、信仰上の重要なサテライトといった趣です。
《上社本宮 東門(入口御門)の側にあるかつての本宮と周辺図》
前宮と本宮、2つの違い、おわかりいただけたでしょうか。なお、一説によれば、前宮は、本宮が神社として成立する前の古い信仰、古い祭祀を受けついでいるのでは?とも。こういった事情が、多くの方の関心を惹くポイントなのでしょうね。
最後にもう1つ。前宮は本宮の摂社でしたから、正確には諏訪大社はずっと上下3社でした。明治29(1896)年に氏子の皆さんの願いで、前宮は上社本宮、下社春宮、秋宮と同格の神社になりました。ここで、ようやく諏訪大社は4社で1つに。永い永い時の流れの中で、諏訪大社の有り様は変化してきたのです。
※1 上中下十三社は、現在も本宮にある布橋の途中に摂末社遥拝所として残されています。ずらりと並ぶ関連神社の中、一番右手の扁額に前宮大明神の神名が。こんなところに、かつての上社の信仰の有り様が窺えます。
《上中下十三社を祀る摂末社遥拝所》
※2 天正の絵図は、複製画が神長官守矢資料館の一番奥に常設展示されています。
※掲載の内容には諸説あります。

